銀座ピアースビルのサイネージ 七夕バージョン 織姫と彦星は年に一度しか逢えないのに、雨が降ると天の川が溢れて渡れないため逢う事ができない。 そう教わったように記憶していませんか?
梅雨の時期の晴天は、とても確率が低いので、2人が無事に逢えるよう願いながら短冊を書き、星空が見られる事を祈っていませんでしたか?
そんな「テルテル坊主」のような短冊に、なぜ自分の願い事を書くのでしょう?
もとより、なぜ織姫と彦星は年に一度しか逢えないの? 引き裂かれた恋人たちなの?
よくよく考えてみると、七夕とは???が多い行事であります。
今回は七夕にまつわる「なぜ?」について調べてみました。
梅雨の真っ只中の7月7日ですが、これは明治政府が歴を改めたためで、もともと旧暦で数えると七夕は現在の8月に当たります。
この時期の雨は多くはなく、織姫と彦星は年に一度の逢瀬を楽しんだと思われます。
そもそも、わし座 の1等星アルタイル(牽牛星)と こと座 の1等星べガ(織女星)に因んだ中国生まれの星の伝説なのですから、8月の夜空に燦然と輝き、雨で見られない事の方が稀だったと思われます。
伝説によると織姫は天女、彦星は牛飼いの人間とされ、2人は れっきとした夫婦です。
では格差婚のため引き裂かれた…?
いえいえ、そうではなくて、実は2人を結婚させたのは織姫の父・天帝なのです。
織姫は機織りの達人で、毎日・毎日、織物ばかりを作っている娘を不憫に思った天帝が、真面目で働き者の彦星と結婚させました。
婚期を逃した娘を降嫁させた、などと言ったら不遜でしょうか(笑)
ところが、結婚したとたん2人は暮らしが楽しくて働かなくなってしまい、天帝の再三の忠告に従わず、織物は作られず、牛の数が減ってしまいました。
ついに堪忍袋の緒が切れた天帝が2人を引き離し、以前のように仕事に精を出すと誓うなら、1年に1度だけは逢う事を許す、と厳しい条件を付けたのです。
こうして、自らの怠慢を反省し、愛する人との再会を果たすため、2人はまた日々仕事に励むようになった、という、自業自得とはいえ、とても気の毒なお話なのです。
これは「親に従い勤勉であれ」という儒教的な思想に基づく説教逸話なのでしょうね。
さて「短冊に願いを書く」という風習は、七夕の別名とも言える宮中行事「乞巧奠(きっこうでん)」に由来します。
織姫と彦星の逢瀬を祝い、機織りの上手な織姫にあやかって、自らも針仕事が上達する事を祈願したとされています。また、短冊に文字を書くと習字が上達するとも言われ、宮中の女性たちは、こぞって短冊に願いを書くようになったとの事です。
う〜ん… もともとは出世を願うキャリアウーマンの風習だったのでしょうか…?
笹の葉に吊るす習慣は江戸時代から広まったようで、日本独特なものだとされます。
門松と同じで笹竹は神の依代と考えられていたので、縁起かつぎ、邪気払いなどの要素が加わったようです。お盆に関連する行事でもあり、秋の収穫を祈る風習でもあり、七夕は古くから親しまれてきた重要な年中行事なのです。
七夕に降る雨を「催涙雨(さいるいう)」または「洒涙雨(さいるいう)」といい、織姫と彦星が流す涙だと伝えられています。
雨が降ると天の川を渡れず2人は逢えない?
いいえ、お話には続きがあります。
雨に悲しみ 途方に暮れていると、何処からともなく かささぎの群が飛んできて、天の川で翼と翼を広げて橋となり、織女を牽牛のもとへ渡す手助けをしてくれるのだそうです。
この、かささぎの件(くだり)には諸説あるのですが、2人の悲哀に対して後世の人々が付け加えたお話ではないかと思います。
雨が降っても2人は逢える!! 織姫と彦星の再会を祝し、あやかった願いが叶う事を、人々は望んだからではないでしょうか。
今年の東京は空梅雨ですので、かささぎのサポート無しで天の川を渡れそうですね。
皆さまの願いごとも叶いますように…
*写真は銀座中央通りの七夕飾り
posted by 銀座ピアースビル at 12:53|
季節のお話
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