2011年11月01日

「見番通り」お披露目の会


「見番通り」よろしくお見知りおき願います

銀座ピアースビル1階 信濃屋さんの前の通りは、今まで特別な名前はなく、一般的に西五番街、または並木通りと金春通りの間、などと呼ばれていました。
この度、めでたく「見番(けんばん)通り」と命名され、10月30日、新橋会館ビルにてお披露目の会が華やかに開催されました。
式典には、中央区副区長、築地警察署長、全銀座会代表幹事も列席され、新橋芸者さんによる「東をどり」も披露されました。

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今回は、「見番通り」の名前の由来と新橋芸者さんについて、お披露目会で老舗料亭「金田中」のご主人からお聞きした話をもとに調べてみた「歴史」をご紹介します。

「見番」とは辞書によると
『その土地の料理屋・芸者屋・待合の業者が集まってつくる三業組合の事務所の俗称。
また、近世、遊里で、芸者を登録させ、客席に出る芸者の取り次ぎや玉代の計算などの事務を扱った所』 とあります。
乱暴に言ってしまえば、芸者さんが所属するプロダクションでしょうか。
そこで「新橋芸者」の起源ですが、 
江戸時代、能役者である今春太夫の屋敷が山王町(現・銀座8丁目)にあり、その「今春屋敷」に住んでいた多くの下働きの女性達が、長唄や小唄、舞などの芸に秀で、人をもてなす才もあったため、大名屋敷に呼ばれるようになった事が始まり、とされています。
【注:当時の「新橋」は、現在のJR新橋駅周辺(港区新橋)ではなく、
東銀座から銀座8丁目付近の事を言います】

その後、幕末の頃には、「新橋」は江戸で有数の花街になっていました。
当時は「柳橋」が最も有名でしたが、勤王の志士たちには敷居が高かったのか、彼らが好んだのが「新橋」で、その後、明治政府で要人となった彼らのご贔屓の「新橋」は、明治から大正にかけて大いに発展したとの事です。
大正14年には、新橋芸者の技芸向上のお披露目のため、新橋演舞場が建てられました。(だから新橋駅から離れているのですね!)
当時の銀座8丁目界隈には、たくさんの見番があり、芸者さんを乗せた人力車で埋め尽くされ、新橋花柳界の中心地だったそうです。
新橋見番は、お披露目会を行った新橋会館ビルに、その名残を見る事ができます。
「見番通り」とは、伝統を今に伝えるべく、この地区にかつてたくさんの「見番」があった歴史を知ってもらいたい、と命名されたとの事です。

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今ではクローズドな新橋花柳界。 一流料亭でなくては出会えない芸者さんですが…
昔から「芸の新橋」と呼ばれていたように、実に150年の歴史がある「東をどり」が毎年5月に新橋演舞場にて開催され、卓越した芸が一般に披露されます。
今回の命名お披露目会で拝見できた事は、とても感慨深いものがありました。

DSCF3200.JPG新しい「通り名」の誕生に廻り会えるなど、滅多にある事ではなく、また式典に参加させて頂いた事を光栄に思います。 通り名の命名は簡単には行えないそうで、銀座8丁目町会・銀座西8町会の長い間の悲願であった事でしょう。
華やかな時代を偲び… 今後も絶える事なく発展していこうという願いが込められているように思います。
「見番通り」の認知が高まり、銀座を訪れる人々に定着する事を願ってやみません。

この記事が、微力ながら お役にたてますように

posted by 銀座ピアースビル at 16:34| 銀座のお話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月29日

第30回銀座震災訓練レポート

第30回「銀座震災訓練」が、警察・消防・陸上自衛隊・中央区役所の指導・参加のもと銀座中央通り(銀座1〜8丁目)全域をメイン会場として実施されました。
この震災訓練は、銀座の各町会や店舗・企業が参加する自主防災組織「銀座震災対策委員会」が毎年この時期に行っているものです。
毎年ピアースビルからは管理部の他に、信濃屋の店長さんがご参加下さいます。
今回は東日本大震災の影響で、約5,000人が参加する大規模な訓練となりました。

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訓練は、東京地方に強い地震(マグニチュード7.2、震度6強)が発生したことを想定して行われました。
町会や百貨店などの自衛消防隊による初期消火、負傷者の応急手当などの訓練。
また、警視庁・消防庁・陸上自衛隊によるビルや地下街からの救出訓練などが繰り広げられました。
銀座中央通りに区画別に拠点が置かれ、私たち西8丁目の集合場所は、8丁目の三菱UFJ銀行前。朝9時には約100名が集まっていました。

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最初に消防団により、震災時の帰宅難民について説明があり、消火器部隊・担架係の人選が行われました。
その後、AED(自動対外式除細動器)の実演と体験の講習があり、各企業の防災管理者は自主的に参加していました。

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9時30分。緊急地震速報の放送がかかり、避難訓練がスタート。
中央通りにはサイレンを鳴らしたパトカーを先頭に、消防車や緊急車両が縦一列になって地震速報を発信し、正に実践さながらの緊張感!
消防団の指示により、しゃがんだ状態で待機し、防災拠点からの指示で避難を開始しました。防災拠点の泰明小学校までの途中、4丁目付近ではレスキューによる救助訓練、ビル火災の消火訓練などが行われていました。

DSCN6448.JPG10時15分。泰明小学校に到着。
ここでも人命救助犬の実演があり、みごとな活躍に大きな拍手が起きていました。

その後、消防署員に「自衛消防訓練通知書」を提出し、解散となりました。

このような大規模な訓練が、行政機関主導でなく銀座震災対策委員会という自主組織で行なわれている事は高い評価を得ています。
今回の訓練では、参加者の意識が例年になく高かった事が感じられました。
ピアースビル管理部では、訓練の経験・講習で得た情報を会社に持ち帰り、全体化する事によって、個から集団で災害や震災に対処できるようにしたいと考えています。
来年の震災訓練には、より多くの方々が参加できるよう呼びかけていきたいと思います。


posted by 銀座ピアースビル at 19:03| 銀座のお話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする